形になりつつある幸福実現党の主張  年の瀬になって、安部晋三首相の靖国参拝、仲井真弘多沖縄県知事の辺野古埋め立て承認と、立て続けに状況が進展しています。  首相による靖国参拝も、米軍普天間基地の県内・辺野古への移設も、い

12/29 首相の靖国参拝は「違憲」ではない

形になりつつある幸福実現党の主張

 年の瀬になって、安部晋三首相の靖国参拝、仲井真弘多沖縄県知事の辺野古埋め立て承認と、立て続けに状況が進展しています。

 首相による靖国参拝も、米軍普天間基地の県内・辺野古への移設も、いずれも幸福実現党が主張し続けてきたことであり、これらによって日本の平和と安全が強化されるのは喜ばしいことです。

 特に後者の、普天間基地の県内移設については、私個人としても感慨ひとしおです。

 2010年秋の沖縄県知事選では、仲井真氏も含め、基地の「県外移設」や「国外移設」を公約に掲げる候補者ばかりの中、我が党の金城竜郎候補だけが正々堂々「県内移設」を掲げて戦い抜きました。

 当時、党首を務めていた私も金城候補と共に、沖縄県内の各所で県内移設を訴える街頭演説を繰り返したことはまだ記憶に新しく、生々しさも消えていません。私たちの主張に世の中が追い付きつつあるのは本当にありがたい限りです。

 

参拝を「不戦の誓い」と説明する安倍氏

 前者の靖国参拝ですが、8月の終戦記念日や春秋の例大祭を通り越して、この年末までずれこんでしまったものの、ともかく公約通りに参拝をやり遂げたことは積極的に評価できます。

 参拝後、安部氏は記者団の質問に答え、参拝にあたっての気持ちや考えを述べました。

 その様子を私もテレビを通じて見ていましたが、安倍氏が「過去の戦争への反省の上に立った、不戦の誓いのため」という趣旨で参拝を説明していたことに対して、「今の日本の首相は何とも“言論の自由”が少ないものだな」と感じました。

 中国が大きな軍事力を背景に、尖閣諸島ばかりでなく沖縄の領有権を主張し始め、尖閣上空を含む防空識別圏を強引に設定するなど、その振る舞いは傍若無人の度を増しつつあります。粛清に揺れる北朝鮮も、いつ何時暴発するかわかりません。

 そうした中、「国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげることは、国家の指導者としての責務」(12/27付産経新聞社説)であり、「指導者の責務を果たす首相の参拝は自衛官にとっても強い心の支えになるはず」(同)というのが、本来の趣旨でありましょう。

 つまり、単純な「不戦」ではなく、万が一戦争が起こった際に国のために犠牲となる自衛官のことを考えた上での参拝でもあるわけです。

 ただ、これをそのまま首相が述べると、「中国との戦争を考えているのか」などといった突っ込みがマスコミから矢のように飛んできて、今以上の大騒ぎになることは目に見えています。

 首相であっても、マスコミとの厳しい言論戦を戦い抜く覚悟が無ければ、本来言うべきこともなかなか言えないというのが今の政治の実情だと言えます。

 

首相の靖国参拝は国防の要

 朝日新聞などは、安倍氏が国益よりも個人的な信条を優先して参拝を強行したと批判していますが、全くの的外れです。

 現在の我が国にとって国防強化ほど急がなければならないものはありません。装備を整えるとか、米軍との連携を深めるといった施策ももちろん必要ですが、個々の自衛官の士気も大変重要です。

 万一戦死した場合に、自らの霊が弔われ、国家の指導者が礼節を尽くして顧みてくれるのか否かといったことは、自衛官の士気に大いに関わります。

 いまさら言うまでもなく、旧日本軍の兵士が勇猛果敢だったのは、戦場に散ったら靖国に祀られ、天皇陛下以下の国家の指導者が参拝してくれるという認識があったからです。

 これをもって「軍国主義」とレッテルを貼るなら、政治指導者が宗教施設で戦没者の慰霊を行う国はすべからく軍国主義となってしまいます。

 首相の靖国参拝は、安倍氏個人の信条や好みの問題ではなく、国防を精神面で支えるために、首相が誰であろうと必ず行わなくてはならない国家指導者としての責務なのです。

 かくして自衛隊の士気が上がり、抑止力も向上すれば、相手国に我が国と戦争しても勝てないと思わせることができるため、戦争を仕掛けられるリスクを減らすことができます。

 

首相の靖国参拝は違憲なのか①~宗教の視角から考える

 首相の靖国参拝に対しては、憲法の政教分離原則に違反するのではないかという批判が根強くあります。これを回避するために、読売新聞なども靖国神社に替えて、無宗教の国立追悼施設の検討を呼びかけています。

 しかし、「無宗教」の「追悼」という組み合わせ自体が根本的な矛盾を孕んでいます。

 追悼というのは、そもそも戦没者の御霊(みたま)が存在し、地上に生きる人間の思いが御霊に伝わるというのが大前提の話であって、それ自体極めて宗教的な行為です。

 御霊は存在しないという唯物論的観点に立てば、追悼は、生きる者が死者を慕う自らの感情を慰めるために行う、気休めの行為ということになり、単なる茶番に過ぎなくなります。

 そして御霊を本当に安らげるには神仏の力が必要です。地上の人間の思いだけで御霊を安んじられるとするのは不遜と言わざるを得ません。したがって神式なり、仏式なり、宗教上の儀軌に則って追悼、鎮魂はなされなければならないのです。

 結局、真の意味で御霊を追悼するには何らかの宗教によるほかなく、我が国においては、歴史的伝統や各宗各派の布教状況を踏まえれば、靖国神社で神道の形式で行うのが妥当と言えるでしょう。

 ここにおいて政教分離原則を徹底して宗教的要素をことごとく排除しようとすれば、政府や政治指導者による追悼自体が不可能になってしまうので、そのような解釈や運用は採るべきではありません。

 

首相の靖国参拝は違憲なのか②~政教分離規定は実は空文化している

 憲法学のスタンダードとされる芦部信喜の『憲法〔第五版〕』では、「靖国神社に総理大臣が国民を代表する形で公式参拝を行うことは、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深いかかわり合いをもたらす象徴的な意味をもち、政教分離原則の根幹をゆるがすことになるので、地鎮祭や葬儀・法要等への出席(引用者注:これらは合憲と解釈できる)と同一に論じることはできない」としています。

 そして、問題となった国家行為の主要な効果が、宗教を振興しまたは抑圧するものかどうかという観点、かつその行為が、宗教との過度のかかわり合いを促すかどうかという観点から考えると、首相の靖国参拝は靖国神社を振興する主要な効果を持ち、靖国神社との過度のかかわり合いを促す、と判断されるので「違憲と言わざるをえない」(同)と結論づけています。

 しかし、日本における国家と宗教の関わりをより大局的な視点で捉え、解釈してみると、全く異なる結論が導き出されます。

 確かに憲法20条1項後段では「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と定められています。

 ところが憲法は、1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定し、日本神道の最高神官にして天照大神の子孫とされる天皇を国のトップに据えて、国事行為と呼ばれる様々な儀礼的行為を行うようにも定めています。

 これにより、少なくとも神社本庁およびその傘下にある全国の神社は「国から特権を受け」ている状態にあります。

 神道における最高の聖職者が国の頂点に位置し、法律を公布したり、国会を招集したり、外国の大使を接受したりするのですから、神社本庁や神社の社会的信用あるいは権威が確立されるに当たり、国家が関わっている度合いは、他宗教との比較を絶しています。

 宗教間の平等を期するなら、各宗各派から聖職者を出して輪番で国事行為を行うなどと定めなければなりませんが、そのようにはなっていません。この事実だけをもってして神道と国家の間に特権的な結び付きがあることは明らかで、20条は既に空文化しているとも言えます。

 

日本はある種の「神道国家」

 結局、「日本国民の総意」に基づき天皇を国の象徴として頂点に据えている以上、国家の活動の儀礼的な部分では神道が一定の役割を担うことを憲法は容認していると理解すべきです。

 地鎮祭への出席や公金支出は合憲だが、靖国神社や護国神社への参拝、公金支出は違憲とするのは、大局を見失った瑣末で恣意的な分別です。象徴天皇制を採用しているからには、日本は依然ある種の「神道国家」なのであり、米国のような厳格な政教分離はそもそも成り立たないのです。

 憲法20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とありますが、地鎮祭は言うまでもなく、戦没者の慰霊を神道形式で行うこと等も、国家運営に必要な儀礼的行為と捉え、この条文でいう「宗教的活動」には当たらないと解釈すべきです。

 もちろん神道が国家権力を通じて国民の信教の自由を侵すという事態は避けなければなりませんが、社会通念上妥当とされる範囲内での儀礼や儀式にとどまっている限り、信教の自由の侵害ということは事実上ほとんど起こらないでしょう。

 例えば、毎年初の首相による伊勢神宮参拝については、主要なマスコミはほとんど非難しません。靖国参拝が政教分離に反するなら、神宮参拝も同様のはずですが、それを声高に主張するメジャーなマスコミは見たことがありません。

 国民の個々人のレベルでも、首相の神宮参拝によって自らの信教の自由や宗教的人格権が侵されたと感じる人はほとんんどいないのではないでしょうか。

 つまるところ、靖国問題は政教分離の問題というよりも、すぐれて歴史観や外交の問題であるわけです。この部分については、後日改めて論じてみたいと思います。

 本年一年間、当ブログをお読みくださり、誠にありがとうございました。また幸福実現党、ならびにHS政経塾に篤いご支援・ご声援を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

立木 秀学
(ついきしゅうがく)
東京大学 法学部 第3類(政治コース)卒業後、幸福の科学入局。財務局長、専務理事などを歴任し、幸福実現党に入党。2010年7月から2012年12月まで幸福実現党党首を務める。
現在、HS政経塾塾長。
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