宗教なしには命の大切さは十分に伝わらない  7月27日、長崎県の佐世保市で高校1年の少女が同級生を殺害するという、痛ましい事件が発覚しました。  県内の長崎市では11年前に中学1年の少年が4歳の男児を誘拐・殺害する事件が

8/3 学校に宗教カウンセラーの導入を!~佐世保・高1同級生殺害事件を受けて~

宗教なしには命の大切さは十分に伝わらない

 7月27日、長崎県の佐世保市で高校1年の少女が同級生を殺害するという、痛ましい事件が発覚しました。

 県内の長崎市では11年前に中学1年の少年が4歳の男児を誘拐・殺害する事件が起き、翌年には佐世保市で小学6年の女児が同級生を切り付けて殺害する事件が起きています。

 以来、現在に至るまで、命の大切さを学ぶ教育に力が注がれていただけに、地元の教育関係者にとっても今回の事件の衝撃は如何ばかりかと推察されます。

 逮捕された少女は、警察の調べに対し「人体に興味があり、殺してバラバラにしてみたかった」などと供述しており、「命の教育」が結果として女子生徒の心に届いていなかったという残念な事実を確認させられました。

 少女を殺人に走らせた家庭内の出来事としては、少女の母親が昨年秋に亡くなったことや、父親が今年の春に再婚したことなどが指摘されています。

 しかし、少女は小学6年の頃にクラスメートの給食に漂白剤や洗剤を混入させるという事件を起こしていたことや、今回の事件後の調べでも「中学生のころから人を殺したいという欲求があった」という趣旨のことを述べていることから、最近の家庭環境の急激な変化に対する不満ばかりでなく、もともと精神面、情緒面で少女は重大な問題を抱えていたと考えるべきでしょう。

 このように精神面で問題を抱えた少女に対し、学校側はどのように対応していたかと言えば、母親の死をきっかけに不登校に陥り、今年春からはマンションで一人暮らしを始めた少女を中学時代の担任教諭らが週1回程度訪問し、相談に乗っていたとされています。

 残念ながら、結果論としては、そのような対応では十分でなかったと言わざるを得ません。

 ただ、では訪問回数を増やせばよかったのかといえば、それだけで事件を止められたかは疑問です。「人を殺したい欲求」を持っていた少女の内面を変えるには、それ相応の精神的な指導が必要だったであろうと思われるからです。

 本来であれば、ここで宗教者が何らかの役割を受け持たなければならなかったのです。

 命の尊さを教えるのであれば、単に「命は尊い」と言うだけでなく、「命は神仏から与えられたものであるから尊いのだ」ということを、信念をもって宣べ伝えなければなりません。

 神の愛や仏の慈悲を実感している人であればこそ、その愛や慈悲ゆえに神仏は「殺すなかれ」と命じておられることを生徒たちに伝えることができるのではないでしょうか。

 少女の場合、望むらくは小6時の事件を受けて、その後、個別に適切な宗教的指導を受け続けていれば、今回のように道を過たずに済んだ可能性が十分にあったといえそうです。

 このように考えると、生徒を宗教的に指導し得る者が、いわば「宗教カウンセラー」として、各学校に配置されるか、あるいは人員が足りないのであれば、求めに応じて派遣されるかする仕組みを作る必要があります。

 生徒が問題行動を起こし、将来の行く末が懸念される場合、個別に継続的に宗教的な指導を行える体制を築き上げれば、少年の凶悪犯罪を防止する上で一定の効果が見込めるでしょう。

 

刑務所での教誨活動が是とされるなら、学校での宗教カウンセリングも是とすべし

 ここで考えなければならないのが、憲法や教育基本法との兼ね合いです。

 憲法20条3項では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とありますし、教育基本法15条2項では「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と定められています。

 宗教カウンセラーの仕事は、これらの条文でいうところの「宗教教育」ではないかと思われるかもしれませんが、これはあくまで「カウンセリング」の一種と位置付けられます。

 つまり、教科内容を一定のカリキュラムに基いて教授したり、試験をして成績を評価したりするものではないため、いわゆる「教育」には当たらないと考えられるのです。

 そうはいっても、宗教カウンセリングは「宗教的活動」に相当するのではないかといわれれば、それはその通りと認めざるを得ません。

 しかしながら、憲法で「いかなる宗教的活動もしてはならない」と定められているにも拘わらず、実際には国の機関でも宗教的活動を行っています。

 その最たる例は、刑務所における教誨活動です。

 もちろん刑務所勤務の公務員が直接宗教を教えているわけではなく、民間の宗教家がボランティアとして教えているのですが、その活動は刑務所内で受刑者らの矯正教育(すなわち国の行政活動)の一環として行われています。

 すでに、憲法の規定に拘わらず、受刑者の更生や社会復帰に必要と判断して、国及びその機関は既に宗教的活動を展開しているのですから、同様に、憲法の規定に拘わらず、生徒の善悪観念を涵養し、健全な人格を築いていくためには必要と判断して、学校で一定の宗教的活動を行うことは不可能ではないはずです。

 長らく教誨活動が継続されていることから、宗教には人を立ち直らせる力があることについては一定の理解があると思われますが、それであれば犯罪を犯した後だけでなく、犯罪を犯す前にも宗教の力を活用することを考えるべきです。

 宗教の力によって、人を殺してから更生がなされるのも大切ですが、むしろ人を殺す前に、その更生がなされた方がより望ましいのは言うまでもないことです。

 不幸な事件で命を失う人の数を減らすことができるのですから、宗教の力を活用することを躊躇すべきではありません。

 犯罪を減らすために使えるものは全て使うべきです。憲法の究極的な目的も個人の尊厳を守ることにあるのですから、宗教を用いて犯罪者や犯罪被害者を減らす取り組みも、その目的にしっかり適っているといえます。

 憲法や法律で公立学校で宗教教育が禁じられているのは、宗教そのものが有害だからでは当然なく、国民の信教の自由を侵さないための方便に過ぎないのです。

 したがって、学校に宗教カウンセラーを導入するに当たっては、信教の自由を確保するため、カウンセラーの教派や宗派は基本的に生徒や親の希望に沿うようにするなどの工夫を行えばよいでしょう。

 生徒や親が自分たちの信ずる宗派以外のカウンセラーは受け入れず、学校側がその宗派のカウンセラーを手配できないという場合には、家庭とその宗派の間で直接やりとりをしてもらって、生徒にその宗派の教師によるカウンセリングを継続的に受けるよう促すというやり方もあり得ます。

 無神論・無宗教の家庭に対しては、もちろん宗教カウンセラーを押しつけることはできませんが、それでも悲惨な事件を極力未然に防ぐための対策の一つとして積極的に推奨されてしかるべきです。

 なお、具体的な立法措置としては、憲法の改正までは行かなくとも、教育基本法は改正しておくべきでしょう。

 例えば、15条2項から「その他宗教的活動」という文言を削除して、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育をしてはならない」と改正することで、公立学校で一定の宗教的活動が可能となり、宗教カウンセラーを導入することもできるようになります。

 

再発防止に向けて学校に新たなイノベーションを

 今回の事件を受けて、地元の教育現場ではこれ以上の追加対策は「こなせない」という声が上がる一方、マスコミは「命の大切さを実感させる努力」を繰り返せと主張しています。

 しかし、なぜ命が大切なのかについて宗教的な説明を伴わず、ただ「命は大切なのだ」と繰り返すだけでは、もはや十分な対策とはいえないでしょう。

 とりわけ精神面で問題を抱えた生徒の更生を図ることは難しいため、特にそのような生徒に絞って宗教的アプローチを取り入れて、今後同様の事件が発生しないよう工夫を凝らしていくべきです。

 今や、公立学校に宗教を持ち込んではならないという、これまでの「常識」を乗り越えて、若い命を守り育んでいくための発想の転換と新たなイノベーションが学校や教育行政に求められているといえます。

 少女は今年春に父親を金属バットで殴打する事件を引き起こして以降、2つの精神科ないしは心療内科に通院しており、事件直前の6月にはそのいずれかの医師から児童相談所に「このままでは少女は人を殺しかねない」という相談があったとの報道がなされています。

 この時の児童相談所の対応が適切だったかという論点は別途あるにしても、精神科治療も少女の更生や事件防止の決定打にはなり得なかった事実は踏まえておく必要があります。

 もちろん、宗教カウンセリングさえ行えば万事解決というほど、生易しい問題ではありませんが、今回の事件を受けて少しでも改善を進めなければ、今後も、加害少年は人生の重荷を背負い、被害者両親は最愛の息子・娘を失うという悲劇が繰り返される恐れが少なくなることはありません。

 被害者のご冥福をお祈りするとともに、再発防止の取り組みが一歩でも二歩でも前進することを切に願います。

 

立木 秀学
(ついきしゅうがく)
東京大学 法学部 第3類(政治コース)卒業後、幸福の科学入局。財務局長、専務理事などを歴任し、幸福実現党に入党。2010年7月から2012年12月まで幸福実現党党首を務める。
現在、HS政経塾塾長。
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